阪神外国人選手ベストナイン! バースは外せない、さあ後は誰だ? | FRIDAYデジタル

阪神外国人選手ベストナイン! バースは外せない、さあ後は誰だ?

いた、いた、あんな選手こんな選手! 懐かしい名前から思い出したくもない名前まで、阪神タイガースを彩った外国人選手たち。

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藤川球児、久保田智之とともに「JFK」を形成したジェフ・ウィリアムス
藤川球児、久保田智之とともに「JFK」を形成したジェフ・ウィリアムス

阪神のランディ・メッセンジャーが引退を表明した。日本に来て10シーズン目。アメリカでは一時期、イチローのチームメイトだったメジャーリーガーだが、日本にすっかり溶け込み、引退会見では涙を流した。

沖縄、宜野座村のキャンプでよく見かけたが、ファンにサインを求められると足を止めて丁寧に応じていた。198㎝の巨漢だが、気さくで親切だった。
ちょうど同じ時期に、ジーン・バッキーの訃報も伝えられた。バッキーは1962年から7年間阪神で投げた。通算100勝はアメリカ出身の外国人選手としては、昨年亡くなったジョー・スタンカ(南海、大洋)と並ぶ最多勝。メッセンジャーはこの記録にあと「2」と迫る98勝で引退。何らかの因縁を感じずにはおれない。

「これを機会に阪神の外国人ベストナインを作ってみましょう」と編集部に提案して快諾してもらった。
早速データを調べ、作成し始めたのだが、開始してかなり後悔した。外国人選手の場合、ポジションが被ることが多いのだが、阪神の被り方は半端ではない。一方、ほとんどいないポジションもある。その苦しい「やりくり」も味わいの内とご理解賜りたい。
数字は阪神での通算成績。現役選手は9月21日まで。

〇先発投手 4人

若林忠志 501登板233勝136敗3436.2 回 率1.90
ジーン・バッキー 239登板100勝73敗1545.1回 率2.31
ランディ・メッセンジャー 262登板98勝84敗1HD 1606回 率3.13
マット・キーオ 107登板45勝44敗0SV 678.1 回 率3.73

若林忠志はハワイ出身の日系二世。法政大から草創期の阪神に。「七色の変化球」で活躍。戦後、毎日に移籍するまで阪神のエースだった。監督も務めている。1964年野球殿堂入り。
バッキ―はMLB経験なし。来日時はノーコンだったが、小山正明らの投球を学んで進化。ナックルボーラーだった。
メッセンジャーは来日当初は救援投手だったが、先発に転向して開花。シーズン200回を投げても潰れないスタミナの持ち主だった。
この3人が傑出している。あと1人、85年阪神優勝時のリッチ・ゲイルも頭に浮かんだが、勝ち星でいけばキーオ。80年代後半、落ち目の阪神で3年連続二けた勝利。父マーティも日本でプレーし、日本語が堪能だった。

〇救援投手 3人

呉昇桓 127登板4勝7敗80SV 12HD 136回 率2.25
ジェフ・ウィリアムス 371登板16勝17敗47SV 141HD 371.2回 率2.20
ラファエル・ドリス 205登板13勝18敗96SV 28HD 203.1回 率2.52

近年の阪神は、素晴らしい救援投手を次々見つけてくる。呉昇桓は韓国プロ野球の最多セーブ記録(277)の保持者。その力を阪神でも見せつけた。
ジェフ・ウィリアムスはオーストラリア出身。JFKの一角として活躍した左腕。特に防御率0.96を記録した2007年はジェフが上がれば相手チームにあきらめムードが漂った。
ドリスは同じドミニカ共和国のマルコス・マテオ(8勝8敗20SV47HD率2.80) と来日。ともに救援投手として活躍したが、ドリスが生き残った。よく似たドレッドヘアーで見分けがつかなかった。この投手は100マイル近い速球が売り。
今季新加入のピアース・ジョンソン(2勝3敗0SV39HD率1.46)も素晴らしいセットアッパーだがやや故障が多いのが気になる。

〇捕手

田中義雄 477試合1619打数400安打5本162点 打率.247

「阪神に外国人捕手なんていたのか?」と思うかもしれないが、戦前の阪神の正捕手はハワイ出身の田中。カイザー田中と言われ、絶大な信頼があった。戦後は指導者。1958年、巨人の長嶋茂雄が劇的なサヨナラホームランを打った天覧試合では阪神の監督を務めた。

言わずと知れたランディ・バース。1986年に記録した.389は、現在でもNPBの最高打率として燦然と輝く。2位は2000年にイチローが記録した.387
言わずと知れたランディ・バース。1986年に記録した.389は、現在でもNPBの最高打率として燦然と輝く。2位は2000年にイチローが記録した.387

〇一塁手

ランディ・バース 614試合2208打数743安打202本486点 打率.337

二年連続三冠王。史上最強の外国人ともいわれるバースを外すわけにはいかない。三冠王の2年だけで351安打101本塁打243打点。
文句なしではあるが、阪神の外国人一塁手には猛者がわんさといる。
ハル・ブリーデン(231安打79本194打点 率.251)、ジョージ・アリアス(357安打95本273打点 率.265)、アンディ・シーツ(463安打47本214打点 率.283)、クレイグ・ブラゼル(433安打91本278打点 率.280)、マウロ・ゴメス(420安打65本260打点 率.270)。みんな一時期は頼もしい中軸打者だった。1シーズンだけだがのちにMLBに復帰してスター選手になったセシル・フィルダー(116安打38本81打点 率.302)もいた。

〇二塁手

アーロム・バルディリス 100試合161打数33安打4本17点 打率.237

うーん、阪神で二塁を守った外国人はほとんどいない。のちにオリックス、DeNAでも活躍したバルディリスくらいだ。

〇三塁手

トーマス・オマリー 490試合1721打数548安打74本304点 打率.318

オマリーは一塁での出場の方が多いが、1992年に110試合三塁を守り、ゴールデングラブを受賞している。シャープな良い打者だったが「ホームランが少ない」と首脳陣が放出。翌年ヤクルトに移籍して阪神は痛い目に遭っている。しかし引退後は阪神とネットワークを持ち、外国人選手を紹介している。キャンプでも姿をよく見かけた。三塁は、スコット・クールボー(165安打24本93打点 打率.260)など結構いるのだが、活躍した選手は少ない。

〇遊撃手

与儀眞助 252試合893打数248安打18本109点 打率.278

遊撃手も少ない。アンディ・シーツは広島時代はショートだったのだが、阪神では一塁。日系二世の与儀眞助は、1953年に三塁でベストナインに選ばれたが遊撃でも通算22試合出場している。

〇外野手

マット・マートン 832試合3287打数1020安打77本417点 打率.310
マイク・ラインバック 565試合2023打数598安打94本324点 打率.296
ウィリー・カークランド 703試合2273打数559安打126本304点 打率.246

マートンはMLBでも1試合4二塁打を記録するなど将来を嘱望されていた。私は「出世前の外国人選手は活躍する」が持論だが、その典型。研究熱心でメモ魔だった。1年目の2010年にイチローの記録を抜く当時のNPB記録の214安打。その後のはずれ外国人を見るにつけ、もう1,2年いても良かったと思う。通算1020安打は阪神の外国人では最多。
しかしメッセンジャーとマートンが入団した2010年は空前の当たり年だったと思う。

ラインバックは懐かしい。MLBではわずか12試合だったが、日本では外国人らしからぬ「一生懸命なプレー」でファンが多かった。1979年、江川卓のデビュー戦で逆転3ランを打って「えらいやっちゃ!」と評価が高まった。1989年、不慮の事故で亡くなる。日本のファンにもショックを与えた。

カークランドは爪楊枝をくわえたまま打席に立つので「紋次郎」と呼ばれた。今の人は知らないだろうが長い楊枝をくわえた「木枯し紋次郎」という渡世人が活躍する時代劇が大流行していたのだ。あの楊枝にボールが当たったらデッドボールか否か、という論争があった。もとはウィリー・メイズとも中軸を組んだ大物だったが、気さくな選手だった。

このほか、大洋から移籍して一塁とかけ持ちで3割を打ったジム・パチョレック(223安打29本119打点、打率.288)、日系以外の外国人選手第1号で、引退後も関西で商売をしているマイク・ソロムコ(369安打74本212打点、打率.250)なども懐かしい。

〇「はずれ外国人」

チームへの愛憎半ばする阪神ファンである。活躍しなければ容赦ないヤジが飛ぶ。最後に「はずれ外国人」にも触れておきたい。
なんといっても1997年のマイク・グリーンウェル(6安打0本5打点、打率.231)だろう。通算1400安打130本のバリバリのメジャーリーガーの触れ込みで、阪神史上最高年俸の3億円で契約したが、7試合で足首を骨折して引退。「神のお告げがあった」と言葉を残して去っていった。ファンは「金返してもらえへんかったら電車乗ったらへんど」と騒いだが、年俸は戻ってこなかった。

1979年のレロイ・スタントン(103安打23本58打点、打率.225)もメジャー77本のスラッガー。23本塁打はまずまずだが、リーグ最多の136三振。「大型扇風機」と揶揄された。甲子園ではファンが「こら! 打たんとん、引っ込め」とやじった。
翌年のブルース・ボウクレア(44安打8本26打点、打率.249)もさっぱりで「打たんとんのあとはボンクラか」とファンは嘆いたものだ。

最近では2009年のケビン・メンチ(8安打0本2打点、打率.148)が記憶に新しい。メジャーで2年連続20本塁打を記録、まだ31歳で期待されたが、神経質な選手で結果が残せず。メンチは頭囲が65.8㎝、これは松井秀喜の63.8㎝を上回り、NPB史上最大と言われた。ファンは「偉大やったんは、頭の大きさだけやった」と嘆いた。

自論ではあるが、阪神は「弱い時の方が面白い」と思う。特にはずれ外国人には、ファンは哀愁の入り混じったいい味のヤジを飛ばしたものだ。今後も外国人をめぐる悲喜こもごものドラマを楽しみたい。

 

  • 広尾 晃(ひろおこう)

    1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

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